学科紹介

学科長メッセージ

21世紀になって世の中は大きく変わりつつあります。人工知能(AI)が生活の中に入り込んで人間の仕事を奪ってしまうかもしれません。国境の垣根が低くなって社会はグローバル化し、世界を視野に置かなければなりません。そんな時代に「日文」―日本語や日本文学や日本文化を勉強して何になるのでしょうか。

実は、そんな時代だからこそ「日文」で学ぶことは力になります。

東大入試突破を目指したAI「東ロボくん」はいったん受験をあきらめました。AIには読解力がまったく足りないことがわかったのです。文章を深く正確に読み解くこと、相手の言うことを誤たず理解すること、そして自分の伝えたいことを的確に表現すること。それらがあって初めて社会の中で人々とともに活動するためのコミュニケーションが可能になります。決まり切った仕事はAIがやってくれます。見たこともない事態に対処するのが人間の仕事になります。他人と協力して事態を打開するためにコミュニケーション能力を伸ばさなければなりません。

グローバル化する社会で世界中の人とわかり合うためには、相手の文化を知り、わたしたちの文化を知ってもらわなければなりません。外国の人がわたしたちに自分の国のことを尋ねるでしょうか。外国の人がわたしたちに尋ねるのは日本のことでしょう。日本語や日本文化を深く理解していることがわたしたちに期待されているのです。

「日文」で学び身に付ける力は未来に向かって生きる力になる。僕はそのように確信しています。

寺島 修一 学科長

幹事教授のコメント

影山 尚之 幹事教授

白玉は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我し知れらば知らずともよし

(万葉集巻6・1018番歌)

奈良時代の大寺・元興寺に勤務する若い僧が、豊かな学識を備えているにもかかわらず世間から尊敬されないのを嘆いて詠んだ歌です。6句体の変わった形の歌、旋頭歌といいます。「白玉」のように優れた私のことを世間は知ろうとしないが、それでもかまわない。私自身がそのことを知っていさえすれば、他人は知らなくても平気だ、という内容ですが、この僧はほんとうに「他人に知られなくてもよい」と思っているのでしょうか。勉強して努力して才能を磨いたのなら、それを他者から正しく評価されたいと願うのがふつう。世間から無視されては辛いですよね。歌中に「シラ」の音が5回も繰り返されているところに、実は「知ら」れることへの執着が露わです。この僧は「独覚多智」、あまり世間と交わらず独学で知識を修得した人なので、自己の内面を他者へ的確に伝えるという技法が未熟だったのかもしれません。

自己を知ること、他者を知ること、自己を伝達すること、困難だけど、とても大切な技能です。

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木下 りか 幹事教授

「その年の六月に卒業するはずの私は、ぜひともこの論文を成規通り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。」これは夏目漱石『こゝろ』の中の一文です。理解に困ることはありませんが、現代の目で見ると変わった表現に気づきます。すぐ目に入るのは「成規」という法律を話題にするときに使うような語です。さらによく見れば「卒業するはずの私」とあります。現在このような言い方をする人は、滅多にいないでしょう。百年という比較的短い期間にも、日本語が少しずつ変化していることがわかります。常に小さな動きを重ね、そして今この瞬間にも動いている生き物であるかのようです。ことばは日々の生活の中で、空気のような存在にすぎないかもしれません。けれどもコミュニケーションの道具でもあり、うねる生き物でもあり…。ことばについて知り、そして考えることによって見える世界は、思いがけず大きく広がっています。

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